まぶやのこと

まぶやの運営

まぶやは、大山町の若手起業家などによる任意団体「築き会」のメンバーが中心となり、行政の協力を仰ぎながら、2013年10月、オープンしました。
​2014年4月より、まぶやのある大山町逢坂(おうさか)地区のまちづくり団体やらいや逢坂の活動拠点ともなり、以降はやらいや逢坂が地域の人たちのコミュニティスペースとして運営しています。

まぶやの歴史

「大山町で何かをしたい! 楽しいことをしたい!」とそれぞれに思っていた『築き会』のメンバーたち。

2012年秋頃、「大山町でアート・イン・レジデンス」のプロジェクトをしたいというお話が来ました。(後に『大山アニメーションプロジェクト2013』となります。)
※アート・イン・レジデンスとは、アーティストが一定期間地域に滞在して、地域の中で創作活動をするプログラム。

すぐに乗り気になったメンバーたちですが、滞在&制作できる場所がありません。

そこで、代表(宮大工)が思いついたのが現在のまぶやの建物である馬淵邸。
20年ほど空き家になっていた馬淵邸でしたが、代表は、「ぜひ、あのお家を後世に残したい」と5年くらい前から、馬淵さんにコンタクトをとっていました。

大山町の行政もバックアップしてくださり、交渉のすえ、我々の熱意と未来への想いを理解いただき、馬渕さんから、大山町へ建物を寄付していただくことになったのでした。

さらに、他のメンバーの「やりたいこと」x「やりたいこと」が合わさって、『まぶや』のカタチが徐々に作られていったのです。

2014年4月より、まちづくり組織『やらいや逢坂』が運営に加わることで、まぶやの土台はより厚みをまし、地域と密着した活動拠点となりつつあります。

まぶやの建築

馬淵家は代々医者の家系で、昭和3年に現在の場所に医院を建てて移り、1994年まで開業されていました。

医院時代は、主屋の土間が待合室、表側上手の6畳間が診察室、土間下手の6畳間が入院の部屋に充てられていたそうです。

建物は、和風建築の細部に洋風の要素がうまく折衷された、医院と住宅の機能をあわせもつ建物です。座敷の構え、軒高の高さなど、昭和初期の時代相が反映された先進的な建築で、当時の匠の技が随所にみられます。

二階と離れの座敷まわりは、床の間と違棚と付書院を設けた本格的な書院で、杉と欅(ひのき)を主に使用し、建具は組子に模様をつけた繊細な細工がみられ、主屋正面には軒下に波と渦の絵模様のついた待送が施されています。

建具類は、米子の今井某という腕自慢の建具師が下市の空き家に寝泊りしながら作ったほど。

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